So-net無料ブログ作成

介護帰省(3) [雑感]

埼玉の自宅においては私は母親、女性、妻(?)…
九州の実家へ帰ると私は52歳の子供になる。父83歳母80歳…しかし母は…

私を小学3年の二学期からやっと一緒に暮らせるようになったというのに、勉強が遅れている、どうしても100点を取らせ、教室の後ろに張り出されたい母のエゴ。

答案集を書店より手に入れ、テストの前日に完璧に暗記してしまうよう、私に強要した母。

宿題の作文が苦手な私に代筆してそれを書き写すよう、強要した母。

答案集が手に入らなくなり、急に成績が落ちると頭を何度も叩かれた…父方の祖父母に只の一度も手など挙げられたことなく、厳しさの中にもチカラ強い優しさがあった。
子供が暴力を振るわれてもなんら抵抗が出来ず、居場所を無くすことになろうとも、どこへ行くあてもなく、孤独と恐怖に耐えながら、生きていかなくてはならない。

40年以上憎んできた母がまだ脳梗塞で倒れる前、私の問いにひとことだけ、お笑い番組を観ながら、しぶしぶチラと私の方を向いて答えた…

「子供は叩いて育てるものと思ってきた」…と。

母15歳の時、昭和20年5月1日34歳で私の祖母農薬を呷り死去。
短気な父母の元に生まれた5人姉妹の長女として、手を挙げられたり、ベルトを外して追いかけてきた父親の元で過ごさねばならなかった母は辛すぎたであろう…叔母達からも親が怖がった話は聞いている。

母のほんのひと言はそれまでの私の憎しみを、図らずも一挙に拭い去った。
子供の頃親から受けた体験は、自分が親になった時の行動に往々にして繋がるものだと個人的には考えている。

それが嫌で仕方なかった私はどのようにすれば、変えられるか、決して親のようになりたくない。人生の目標にしてきた。
母の本音のどの部分が私から憑き物を落としたのか、不思議な瞬間であった。身体からチカラが抜けていった。

今や母はほぼ一日中車椅子に座り、おさなごとなって、私が面会に行くと顔をクシャクシャにして喜ぶ。

父は今朝から遺言書の下書きを始めた。

自分が子供でいられるのもあと僅かである。
nice!(4)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。